近江蚊帳の歴史 |
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日本の蚊帳の歴史は古い。唐から奈良へ伝来したのが最初だと言われています。長い間、奈良蚊帳は上流階級だけの贅沢品でした。戦国時代になってもまだ夏の貴重な贈答品として「米にて二、三石」という高値だったのです。
近江蚊帳が誕生したのは慶長年間(1596年〜1614年)のこと。琵琶湖の湿気が蚊帳を織るのに適していた。湿気が十分でないと経糸が切れやすいと言われていました。
以来400年に 渡り近江蚊帳が全国に君臨してきたのは近江商人『西川甚五郎』なる人が麻生地に萌黄(もえぎ)の染めを施し、縁(へり)に紅布を付けた萌黄蚊帳を創案したからです。 |
日本の夏 |
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昭和30年代の終わり頃まで、蚊帳と蚊取り線香は”日本の夏”と同義語だった。それまで夏の夜はどこの家にも蚊帳を吊っていたものです。
家族が一つの蚊帳に川の字になって寝る・・。が平均的な日本の家族の習わしでした。
いまや蚊帳を見たこともない世代が中心のご時世です。蚊帳の中で両親がすぐ隣にいてくれる安心感を知らない。蚊帳の中に父親がホタルを放ってくれた幻想的な美しさを知らない。。
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蚊帳 |
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蚊帳には単に蚊から身を守るだけではない何かがあった。それはしっかりと心が結ばれ合っていた家族の象徴であったかもしれない。
雷が鳴ると大急ぎで蚊帳の中にもぐり込んだ。。。
『雷さんが鳴ったら蚊帳の中』
は・・・昔、麻は絶縁物として碍子(がいし)に使われていた。だから本麻の蚊帳に入っていれば安心と言う事からだったのでしょう。
蚊帳は人が風と共に暮らしていた頃の生活の知恵である。高温多湿の長い夏場を持つ日本という風土に根ざした一つの文化だと思います。 |
蚊帳の必需性 |
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昭和40年代に入って蚊帳が急激に減ったのは下水道の整備など環境衛生が発達し、農薬で蚊そのものが減り、アルミサッシを使った密閉空間での冷房が普及したからです。
それでも蚊帳が消滅しなかったのは何故でしょう。。。
夏はやっぱり蚊帳に限るという理由がいくつかあるからです。
・締め切った部屋で冷房をきかせて寝るのは健康によくない
・扇風機もクーラーも嫌い。風通しの良い蚊帳の中で寝るのが一番
・子供のために冷房も殺虫剤も使いたくない
・夏場の野外生活を楽しむには蚊帳は必需品
などとの理由が上げられています。 |